ルームマッチ・寿司

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昨日の夜中にディスプレイアームを買った. 将来への投資. 後, ハヤカワのセールをポチった.

起きて

表彰文化論Cを受ける. 視線の話が面白い. 教科書は昨日買ったけど, いつ届くかな.

お昼はらってぃー君とtmr君とウマ娘のルームマッチをしたり. 基本的にボコボコにされていたけどマイル戦と短距離で勝てたので嬉しい.

途中からデバフネイチャ育成会を始めて最後にはデバフ合戦になって笑った.

サボ朗

水をやって600gぐらい. 太陽光を浴びせた.

寿司

昔のことを思い出す. 食卓に行くと祖父はスープをすすっていて僕はその向かいの席でその様子を眺めてる. “ロシアにいた頃はスープに黒胡椒をかけて味付けして食べてたんだ. もっと言うと全部の料理に黒胡椒が入れられていたよ.” そんな話を聞き, さすがに今食べてる味付け済みの卵とトマトのスープには使わないでしょとツッコミを入れつつ, 自分も食事を始める. 僕は四六時中答えの出ないことをグルグル考えて, 日常の些細なことから答えに近いものを得て自分の中で満足し, 特別話さない性分だ. 話したとしても, 僕の中で散々考えて煮詰めた結果だけを話すから聞く人もその突拍子のなさに混乱してしまうので, 自分から話そうというモチベーションはない. ちょうどこのときも昔から気になっていた事柄への一つの答えを見つけた気がして「なるほどな…」と少しだけぼやきつつ, 暫し止めていた箸の動きをまた再開させていた. もちろん, この時も何に気づいたのかは食卓にいた誰にも言ってない.

それだけだとなんだか悲しいし, もったいない気がするのでせめてここに書いて供養しようと思う.

話を戻そう. 夕飯に寿司を食べた. スーパーのお寿司だがとてもハッピーな気持ちになる. もちろん, この何もない内陸の街で食べられる寿司なので港街(北海道とか?いつか行ってみたいね)で食べられる寿司に比べたら質は劣るだろうけど, 食事に繊細さを持たないように自戒している僕なので味についてワーキャー騒がない. 食べられるだけラッキーだし, コールドチェーンに感謝だ. でも, どれぐらい違いがあるかいつか確かめに北の大地に行ってみたいという気持ちはある.

そんなこんなで寿司を食べ進めてたら祖父に昔よく幼稚園の帰りにプールの向こうの回転寿司に行った話をされる. 数十回は聞いた話だ. でも僕も楽しかったし, よく覚えているのでそれに数十回やった返しをする. そんな話をしてる間にこんなことを思い出した.

まだ祖母が生きていた頃だ. 子供の頃, 寿司を食べると毎回祖母に"生の魚を食べるな, 火を通せ.(タマゴも!)" と言われたのを思い出す. 祖母の生まれは貧しく, 海の魚は取れないし, 川の魚も身がとてもドロドロしてとても食えたものではなかったらしい. これは祖父が鮭を食べるときに毎回とても褒めてた事からマジにホントの事っぽい. だから生で食べるなんてありえなくて毎回寿司を食べるときにそんなことを言ってきた. 祖母が寿司を食べているところを俺は一度も見たことがない. 多分, 生涯食べたことがないのだろう. 子供の頃の自分は寿司を食べるとき, いつも困っていた. 火を通せと注意してくる祖母, それをなだめる祖父, それを仲裁する母, 好き嫌いする妹. そんなところで寿司を食べるのはなんだかとても居心地が悪くてずっと下を向いてさらさらっと食べ終えて逃げるようにその場を退出した.

思えば, 僕が食事にこだわらないようになったのは祖母の影響が大きい. 祖母は料理の腕が壊滅的だった. もともと, 食事に余裕のないところの暮らしだったらしい. そんなわけで子供の頃の僕の食事といえば, 想定量の2倍ぐらいの水で炊かれたフニャフニャのご飯が常だった. ナスの料理といえば, 調味料もなくひたすらに煮詰められて皿に盛られたものしか知らなかったし, 半熟の目玉焼きは食べたことがなかった. そんなわけでいつも目を光らせて学校の給食やコンビニ弁当を食べていた気がする.

祖母と食事のことでいつも思い出すのはラーメンを食べていたときの事だ. 祖母も年を取って料理ができなくなってからは調理場は主に母のものになっていった. それぐらいの頃から食事のレパートリーはとても増えたような気がする. その日も自宅でチキンラーメンを食べていた. 塩分が濃かったのか水がほしいなーとぼやきながら食べていたら祖母にスープを飲めばいいでしょとツッコまれた. そりゃないでしょと思ってその時はケラケラ笑っていたが今なら分かる. きっと祖母が育ったところで食べていたスープは調味料がロクに入ってなくて飲んでも水の味しかしなかったのだろう. 調味料の使い方も味付けの仕方もよく分かってなかったぐらいには.

子供と祖父母の間には絶対的な身長差がある. 成長していく子供の目線と老いていく祖父母の目線は時代の垣根も合わさってずれていくことはあれど同じになっていくことはない. だから, 子供は祖父母のいう事が分からないし, 逆もしかりだと思う.

この笑い話に見える小さな断絶に気づくまで随分時間がかかった. それこそ, 祖父と黒胡椒の話をするまでは. 子供の頃の自分がいちいちそんなことに気づいていたらやってられなかったと思う. 子供の頃の自分に必要なかったのはいらないことに気づく繊細さで, 今の自分に必要ないのは食欲に対する繊細さだ. 持ってるものでアイデンティティを決定する時代にいるけど必要ないものや持ってないものがアイデンティティになる時代が来てもおかしくはないなと思っている.

そんなわけで, 寿司の話から祖母の話になり, 黒胡椒の話に繋がった. 大人になってから初めて祖母と目が合うような瞬間が増えてきた. でも, 今更僕が祖母が飲んでいたスープはどんな味だったんだろうとか, それを再現して食べてみることに意味はないし, やっても仕方がないことだと思う. ただ, やたらと健康にうるさかった祖母の事を思い出して次に中華一品に行ってラーメンを食べるときはこってりの代わりにアッサリを食べてみようと思う. もちろん, 飲み水は別で必要になるけど.

萌え

ひそひそ話をするライスシャワーを見てるときだけ得られる栄養がある. tweet user=“dango_bot” id=“1389929929739886594”