写真・日記・もう一人の僕

昨日

こんなこと言ってたけど, 普通に無理だった. おしまい. 起きたら10時過ぎだった.

シリアルを食べて, サボ吉(サボヨシ)をベランダに出し, 掃除をする. 椅子の座面が汚れていたのでブラシをかけてきれいにし, 床を掃除機をかけた.

きれいな状態は好きだけど, 研究みたいな不規則な生活をして生活が破壊されている, ないしは生活にルーティンを作れない状態にあるので, 部屋をきれいに保つことでQoLを上げるよりも, 部屋が少し汚れてもQoLが下がらない(意識的に鈍麻する)ほうがいいなと思ってる. Apexで言ったらフラットラインみたいな人間になりたい.

おでかけ

違国日記最新巻発売されとるやんけ!と思って本を買いに街へ. 人めっちゃおるやんけ!無事に買えたので良かった. 毎回, 違国日記がどこのブースにあるか分からんくて迷子になっている. 今回は少女コミックの新刊のところになった. そうなのか?

遅めのお昼にバーガーキングでダブルチーズバーガーを食べた. ジャンキーなものは美味しい. バーガーキングのポテト, ホクホクしてて好きなんよね. ポテト食べ比べの旅に出たい.

lunch

写真

祖父が花火をやっていたときの写真を現像した. 最近はコンビニでスマホのアプリからちょちょいと出来るので凄い. 皆もセブンイレブンのマルチコピーを信じてくれ.

写真写りが悪いから, なんてしょうもないけどとても切実な理由で写真に写るのが苦手で子供の頃の写真はあまりない. 修学旅行に行っても写真はあまり撮らなかったし, 自分の写真なんて集合写真か他の人が撮った写真に写ったものとかしかないんじゃないだろうか.

大事なことは全部記憶で覚えておけばいいなんてふうに思ってたけど, 少しずつ自分自身が年月による損傷を受ける中でそれはちょっと難しいことが分かった. 昔の記憶はどんどん美化されていくし, 曖昧だった顔や風景はどんどんぼんやりしていく.

だから, 最近はよく写真を撮る. ログとして残すためだったり, 忘れないためであったり. 「旅行中のオタクは自分の写真を撮らない」って言葉をよく聞く. 俺が旅行中のフォロイー君の写真を撮るからフォロイー君には俺の写真を撮ってほしいな. 自分で自分を撮るのはやっぱり顔がこわばってしまうから.

そういえば, 中学生の頃に学校の文芸部員が書いた作品集の中に「日常の全ての時間を写真に切り取って瓶に保管したい」という一文があってなんだか頭に残っている. そこまでセンチメンタルな時分ではないけど, 忘れたくない一瞬だけを切り取ってペタペタ貼るのは悪くないんじゃないかなと思う. 日記もそんな気持ちで書いてる.

違国日記

自分のあり方やそれを貫くために戦い続けること, もういなくなった人を知ろうとして自分が自分であることへのゆらぎや答え.

違国日記は誰かから分かりやすい答えがポンと表れるのではなく, 何気ない雑談や会話を交わす中で出てきた言葉が自分の心に触れて, 少しずつ自分の答えを一人ひとりが模索していく様子が本当に良い. 結局, 私とあなたは違う人で自分の答えは自分で探していくしかないのだから.

関係に名前なんかなくていいという言葉がとても好き. 人はそんな簡単にラベリングを貼って分類してハイ終了できるようなものではないという事なのだろう.

最初のページの,

変わってゆくものと変わったものと変わらなかったもの そのすべてを書き記しておけばよかった そう気づくのはいつも何かが変化してからだった 私はこれからも新しい日記のカバーを見るたびきっと同じことを繰り返す

もとても印象的だった. 自分のことはいつも変化してからしか気づけない. 過去を振り返る習慣でもない限り. でもそれも「生きているから」ということなのよね.

夕方

研究バトルという名の作業イプみたいなのをした. 出てきた先行研究を読めば読むほど「これ俺か?」となる. かなり似ていて困惑している. おまけに読む論文が増えて頭を抱えている. 何でやねん.

ただ, 差別化することはできそうなので出来ることをやるしかない. かなりめんどくさいけど.

面白くないことを黙々とやれるのってすごいよなという話をした. 俺もそうでありたい.

太極拳をしたり, 本を読んだり, ランニングをしたり.

音楽への憎しみを読んでいるけど, 詩的なところが多くてひえーと言ってるが飛ばしながら読んでいる. 昔は本の読み方がわからなくて, 教科書みたいな読み方しかできなかったけど, 最近になって飛ばしながら読んでもいいんだということが分かった. 随分回り道をしたような気がするけど, 回り道が俺の最短の近道のようにも思う. ジャイロもそう言っている.