人生が物語じゃないなら

起きて

労働とか。IGLになっていた。旗を振るのがうまい。 一日中、脳内であたしンちOPが流れていた。そういうこともある。

料理

うどんと鶏大根を作った。美味しかった。豆板醤がいい感じ。

鶏、加熱しすぎると虚無が生成されがち。塩梅が難しい。圧力鍋での加熱が長すぎたと思う。3分にしよう。

一人暮らし初めての卵とうどんを使った料理。うどんは大丈夫だったんだけど、卵はパック開けた瞬間一個落としてだめになった。

初めての卵料理はなんてことはなかったらしいです。俺にとっての卵黄はとっくの前から床に落ちていたから。(最悪)

浴衣で料理するの、慣れてきた。たすき掛け便利ー。

サボ吉

今日は3つの花が全部開いた。本当に嬉しい。ずっとニコニコしながら見てる。夕方になると閉じるので、昼顔みたいな感じなのかな?花が閉じると本当に生きているという感じがする。俺とお前、同じ太陽光浴びて生きてるんだな。

後、Pixel6でとる写真きれいー。Computational Photographyやね。最近撮る写真が良くなった?と聞かれたので新しいスマホの効果だと説明したらハァ?みたいな返事をもらった。分かる。 根本はフサフサになっているな。観察。

flower

夜は日記を書いてたりした。土日月と3日分。日記を書くのは楽しいね。嘘じゃない。

人生が物語じゃないなら

書こうと思ってずっと書けていなかった事を書こうと思う。その頃の俺には書く元気がなかったので。

人生って物語じゃないらしいです。 その手の優しい言葉はTwitterでよく見かける。寄り添っているように見えるものは皆の支持を得やすいから。

とにかく俺は追い詰められていた。今年の1月、着々と修論の締切が迫っているのになぜか実験をまだしていて、内心なんとかなるだろうと思うぐらいには図太かったけど、他のなにかを始められるほど無関心ではいられず、一日中天井を眺めるかパソコンを眺めるかの終わった生活をしていた。どうしようもないので、気分転換がてらリビングに行ったら祖父が大陸から違法アップロードされた感じの中国のドキュメンタリーをYouTubeで見ていた。毛沢東とか文化大革命時代のドキュメンタリーを。最近のテレビはYouTubeが見れるようになったから最悪だ。皆いともたやすく狂い出す。それだったら教育テレビでストレッチパワーを貯めている方がずっと良い。 僕も何を言ってるか一つも分からなかったけど、とりあえず一緒に見ていた。

文化大革命は祖父や母の世代に大きな影響を与えている。その時期に祖父は田舎に飛ばされて、毎日アリジゴクの動きを観察していたし、時代の荒波に流されたから僕の家の家系図は燃やされて存在しない。

僕にとっての文化大革命は歴史の一部で僕のルーツに影響を及ぼしてるぐらいにとどまっているけど、祖父にとっては人生の一部だったんだなという事を横顔を見ながら分かった。大きなうねりと混乱があった時代に何があったのか知りたがっていたように思う。時が流れるのか、人が流れるのかは分からないけど。

そんなふうにドキュメンタリーを見ていたら毛沢東の顔が次々とポップアップされ、出来事が時系列に紹介されていく。まるで物語みたいに。それを見ながら、映し出される白黒写真の人間はもう全員この世にいない人間だということを眺めながら、人が生きた痕跡ってどうやっても物語になるんだということが今更ながらに分かってなんとも言えない気持ちになった。そして、祖父は生き抜いたその時代がどんなものだったのかを知りたがっていたように思う。

俺もいつか「じゃあ、あのコロナの時代って何だったんすか?」とか「VTuberに俺達は何を見ていたんすか?」とか「俺とインターネットの間にあった友人以上で知り合い未満だったあの感じは何だったんすか?」みたいな気持ちになるかもしれない。それこそ、祖父が昔のドキュメンタリーを見るように。

人生が物語じゃないことへのアプローチは色々存在する。人生はドラマチックじゃなくて良いとか、私には私の城があるとか。でも、生きている瞬間は物語だと思わなくてすんだとしても、長く生きて後ろを振り返ったときにどうしようもなく物語になってしまっているという事の方が最近は恐ろしく思えるし、対処が絶望的のようにも感じられる。僕が生きてきた歳月はそれほど長くないけど、これからどんどん積み上がっていくし、私の城がずっと今のままの強度を保てるかも怪しい。だから、人は歳を取ると物語を求めてイデオロギーに走るのだなーと思った。

でも、希望がないわけじゃない。最近、祖父はYouTubeの代わりに俺が実家に導入したNetflixを見ている。中国語吹き替えがあって字幕もついてる良質なコンテンツがいっぱいあり、それらを祖父に勧めたら、よく笑いながら見るようになった。俺もカンフーハッスルとか好き。最近は時代劇がアツいらしい。育ての人がインターネットで狂っていくのを止められないならパソコンカタカタオタクになった意味がないからね。良い初任給の使い道だったと思う。

そうやって、日々を楽しく過ごせる選択を取り続けられたら、物語になってしまうこととの耐久レースに勝てるかもしれないし、私の城もずっと壊れずに保てるかもしれない。それにいずれ来る困難が分かってるなら対処を考える時間も取れる。Fate/Zeroで言峰綺礼も衛宮切嗣が倍速で動くことを踏まえて間合いを取ってたし、そういうこと。

この日記も年月による損傷に勝てると嬉しい。 嘘、日記はもっと気楽でええ。それが一番。

P.S.

日記を書くと本当にTwitterと同じ人が書いてるんすか?と言われがち。悪口…!