これが私

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起きて

仕事をする。でかい山を何とかしたので、のんびりしていたが、退勤間際に後輩氏が突然のメテオストライクを決めてきてPCをそっと閉じた。

君たちはどう生きるか

退勤してご飯を食べた後、映画を見に行く。ジブリ映画って映画館で見るのは初めてかも。

結論から言うとアニメーション的にはあんまり面白くなかった。とにかく説明がないし、絵はきれいだけど、カタルシスというか、話全体を通して何がしたいのかよく分からないような映画だった。絵は本当にきれいだった。最初の火事のシーンとかすごくよかった。

けれど、宮崎駿のラストの作品という風に見るととんでもないエゴイズムと萌えを詰めた絶叫みたいな映画だったなという気持ちになる。

そもそも、この映画のタイトルは視聴者に語り掛けているようだが、実際には作中でそのような描写はほとんどない。むしろ、「どう生きるか」という語りかけのために「私はこう生きた」という接頭語が隠されているみたいに、始終自伝っぽい話を展開していく。

特に印象的な大叔父が主人公に跡を継がせたいというシーン。インターネットを見ると宮崎駿が他者への継承みたいな話をしているけれど、自分には両方とも宮崎駿に見えた。「血がつながっている相手でないといけない」という大叔父、そして、それを断る主人公。

これは、老年期の宮崎駿(大叔父)は自分以外の誰にも継がせる気がないと言っているように見えるし、少年期の宮崎駿(主人公)は他者から言い渡されるあり方や生き方に対して明確にNOと言って、自分の進む道を自分自身で選び、元居た世界に帰っていく。

だから、最後はポッとでの他者である鳥の王様みたいなやつが跡を継ごうとして積み木をやって失敗してしまう。明確に「俺以外に継がせる気はない」というのにこれ以上の説明はないなと思った。

そして、少年期の宮崎駿はこれから自分が選び取った炎の先にある道を進んでいく。 だからこの映画のラストは千と千尋の神隠しのように帰る話ではなく、行ってきますで終わる。これが私の生きた(生きていく)人生であり、これからあなたが私に見せるよう語り掛けてくるシーンでもある。

広告を一切打たなかったのも少し分かる。だって自分の話なんて恥ずかしいじゃん。俺だって日記にはシェアボタンをつけていない。

それは別として、自分は「好きなのかい?」と聞かれて「父が好きな人だ」って答える主人公で萌え苦しんでいました。

後は死の隠喩が強くてすごい緊張しながら見ていた。大人たちが運んでいくコックピットであったり、棺桶をモチーフにしてるといわんばかりの担架に運ばれている母であったり。

だから、アニメとして見るとあんまりだけど、人生の最後の叫びとしてみるとこれほど良い映画もそうそう無いなと思った。俺もかくありたい。