10年間よ、こんにちは

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起きて

お昼過ぎに学校に行く。高校の文化祭。

学生の頃、通った道を歩いているとずいぶん狭くなったなというふうに感じるのは私が年を取ったからなのか。あの頃のきらめきがいろんな所にあって目を奪われるからか。

学際につく頃には、終わっていたんだけど、あまり気にしていない。今更中学生や高校生の催しを見て心を動かすというのはちょっと難しいだろう。文化祭はOBのものでも来場者のものでもない。君たちのものだから。

キャンパスを歩くとやっぱり狭いなとか小さいなと思ってしまう。中学棟とかは特に。 さすがに中高六年間もいるといろんな思い出があるな。大学の場合は院まで行ったけど、コロナでほとんど行かなかったようなものだから、実質4年しかいなかったから、実質この中学高校のキャンパスが人生で一番長い時間を過ごした学び舎になる。

学校を歩いて、先生を探しに行った。まず会えたのは、富永先生。昔と変わらない風貌で、なんだかそれを見れたのがとても嬉しかった。

船戸先生や家庭科のしょうこ先生にお会いできたのも良かった。先生たちとは色々話をした。コロナの間何してたか、大学で何をしていたか、研究の話や皆の近況とか。生きている私にはそういった形で皆が生きていたことを報告する務めがあるように思っている。

でも、中学棟に行ったとき、自分が中学一年生だった時の教室から当時の担任の先生が出てきた時、ちょっと泣きそうだったんだ。嘘じゃない。

もう一つのスタンドバイミー

後は学年主任の高橋先生に会った。そこでいろいろ話をする。これまでの話とか、連絡が取れなくなった生徒の話、定年の話。 うちの学校は一貫校だったから中学一年生から高校三年生まで先生がずっと同じで、高校三年生を教え終わった翌年の先生たちはまた中学一年生を教えるというローテーションがある。

でも、高橋先生は僕らの世代が最後のローテーションを行った世代だったらしい。今でも歴史の教員として教えているけれど、生徒と一緒に学年を上がったり、ローテーションはしていないらしい。そんなことを聞かされて、自分は有終の美を飾れたのだろうかと思った。 高橋先生はいつも、奇跡の学年とか言っていたけれど、そういう思いもあったのかもしれないなと思った。 もし自分がその中の一つになれたのなら、これほど誇らしいことはない。そう思う。

後、行方が分からなくなった生徒の事を聞いたけど、芳しい成果はなかった。高3で退学した木内君はそれから何度か高校に来て大学受験の勉強をしているという話はあったが、大学生になった話はうわさレベルでしか届かないとか。 後は死んだ学生の話とかも色々ある。あんなに学生時代いろんな話をしたのにね。

こういうのがもう一つのスタンドバイミーなのかもなーと微妙な気持ちになった。

目線

高橋先生と職員室前で一通り話した後、「それではまた」と言って別れて少し歩いた後、どうしても伝えないといけないことを思い出して、勢いよく振り返ってめちゃ走って駆け寄った。人生でもう一度「先生!」と叫びながら人に駆け寄ること、あるんだ…

学生時代、学年集会をやるたびに学年主任である高橋先生は壇上に上がるわけだけど、いつも「生徒の皆さんと同じ目線でいたいから」つってわざわざ壇上を一段降りた場所で話していた。 その事がやけに記憶に残っていて、あの頃の時分はまだその意味は分からなかったけれど、いつか分かるような気がしていたから何となく覚えていて、最近、ようやくその意味が分かりましたみたいな話を先生にした。

「10年前のことなのによく覚えているね」と笑いながら先生は話し、身の上話をしてくれた。大学院生だった頃、博士課程にいたこと。学位は取れなかったけど、その後は先生になったこと。アカデミックの世界にいた偉そうで人として尊敬できない大人たちを見て、あんな大人にはなりたくないと思ったこと。だから、先生になった今は学生の皆さんにも敬称をつけて呼んでいること。

あの頃、なんとなくでしか分からなかったけど、先生が生徒たちと同じ目線で話せるよう、心がけていたその真摯な姿勢に、中学高校大学大学院と人生四周してやっと追いつきました。同じ目線で話してくれてありがとうございました。みたいな事を言った。 高橋先生は少し照れていた。

何というか、これを伝えるためにずいぶん回り道をしたように思う。でも、これが俺にとっての一番の近道だったように思う。本当にありがとうございました。

部室で

後輩に少し話をしたり。現役大学生の卒業生はそんなもんかぐらいの印象だけど、高校生たちの開発力は目覚ましいものがある。これからは彼らのような学生がドンドン切り開いていくのだろうなと思った。

後は青木先生と少しお話をしたり。それだけかな。久しぶりに来れて良かったと思う。

帰り道

学生の頃の帰り道を歩き、懐かしいなーと思いながら辿っていた。本物の進学校で帰ったら勉強しなきゃいけない僕らは、この帰り道をどうにか引き伸ばしたくて、ダラダラ帰っていたのを思い出し、まぶしい瞬間があったなと思った。