空の後に
起きて
朝。英会話をする。
今日はバーガーを食べたり、筋トレしたり。 夜はずっと気になっていた映画を見た。
aftersun
子供と大人の間には絶対的な身長差がある。親は子供を見下ろす必要があるし、子供は親を見上げなくては目線を合わせられない。そうして、親子の顔が同じ高さになるということはほとんどなくて、親は子の顔を覚えられないし、子は親の思っていることが分からない。 だから、人はカメラに生きた証拠だったり、あの日の思い出を残すのかもしれないなと思った。
少女と父のひと夏のバカンスの映画。
正直、中盤ぐらいまでずっと退屈な映画だなーと思っていた。
- それが意図的に設計されたものだとも知らずに…
- ずっと、ソフィの視界にはカップルというか愛し合う男女が映っていて、それが彼女の現在に影響を与えたり、周りとの相違に気づくきっかけだったのかなーと思う程度。
でも、中盤の「お父さんは子供の頃、何になりたかった?」という質問をする箇所で雰囲気が一気にガラッと変わった。
この映画はバカンスにいながら全く違うものが見えている親子を映している。扉を挟んで、暗い部屋でバンドを直している父と明るい部屋でリラックスしている主人公。部屋で全く違う角度に座って、別のものを見ながら会話している姿。
父親はずっとこの子とは一緒にいられない事を分かっていて、どうにかしてこの一瞬を楽しむと同時に娘の記憶の中に宿ろうと色んな取り組みをする。
- 絨毯を買ったり、最後のダンスをしたり。
- けれども、子供にはその意味が分からなかったんだと思う…
勿論、仕方のない事で、ここにはどうしようもない時間の隔たりがあり、もういない人の気持ちは推察する事しかできないけれど、そんな風に愛した人は確かに今でもビデオの中で息づいていて、その優しい祈りがペルシャ絨毯のような形で今も生きている。
そういう寂しくもあるけれど、いなくなった人の祈りや思いが生きている映画を僕はどうしようもなく好きで、見ながら少し泣いてしまった。
どうでもいいけど、お父さんが太極拳やっているの、ちょっと笑ってしまう。